大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松地方裁判所 昭和51年(行ウ)7号 判決

香川県綾歌郡国分寺町新居一八六八番地

原告

平松弥三郎

右訴訟代理人弁護士

久保和彦

高村文敏

金澤隆樹

香川県坂出市駒止町二丁目二番一〇号

被告

坂出税務署長

三宅一夫

右指定代理人

川上磨姫

泉本喬

幸田久

工藤茂雄

坂本禎男

村田一

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し、昭和四九年一二月二四日付でなした。

(一) 昭和四六年分所得税の更正処分(税額六三万四六〇〇円)のうち税額一五万四四〇〇円を超える部分及び重加算税賦課決定処分(但し、いずれも審査裁決により維持又は変更された部分)

(二) 昭和四七年分所得税の更正処分(税額一二七万四二〇〇円)のうち税額三〇万四七〇〇円を超える部分並びに重加算税及び過少申告加算税の各賦課決定処分(但し、いずれも審査裁決により維持された部分)

(三) 昭和四八年分所得税の更正処分(税額八一万三一〇〇円)のうち税額三七万円を超える部分及び重加算税賦課決定処分をいずれも取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、盆栽の生産販売を業とする者であるが、その昭和四六年分ないし昭和四八年分の各所得税について、別表一1ないし3のとおり確定申告をしたところ、被告は、同表4ないし6のとおり更正処分をし、また同表7のとおり過少申告加算税の及び同表8のとおり重加算税の各賦課決定処分をした。

原告は、右各処分を不服として、被告に対し、同表9ないし11のとおり異議申立をしたが、被告は同表12、13のとおりこれを棄却した。

原告は、さらに右各異議決定を不服として、国税不服審判所長に対し、同表14ないし16のとおり審査請求をしたが、国税不服審判所長は、同表17ないし21のとおり裁決した。

2  しかしながら本件各処分のうち

(一) 昭和四六年分所得税の更正処分のうち税額一五万四四〇〇円を超える部分及び重加算税賦課決定処分

(二) 昭和四七年分所得税の更正処分のうち税額三〇万四七〇〇円を超える部分並びに重加算税及び過少申告加算税の各賦課決定処分

(三) 昭和四八年分所得税の更正処分のうち税額三七万円を超える部分及び重加算税賦課決定処分

は、いずれも違法であるから、これらを取り消すことを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2は争う。

三  被告の主張

本件各処分は、次のとおりいずれも適法である。

1  本件更正処分に至る経緯

(一)(1) 被告は、原告が提出した、昭和四六年分ないし昭和四八年分の各所得税確定申告書を受理し、検討したところ、右各申告書には、いずれも事業所得の金額につき所得金額のみが記載され、その内訳である収入金額及び必要経費の記載がなく、さらに右所得金額の計算根拠を明らかにする資料である計算書等の添付もされていなかったことから、被告としては、原告が申告した右所得金額の適否を確認する方法がなかった。ところで、原告は昭和四四年に約一四二平方メートルの鉄筋住宅を新築しており、このような事情あるいは原告の事業規模等からみても、申告がなされた本件各年分の所得金額は過少ではないかと推認されたため、被告は、右各申告所得金額について、その適否を確認するため調査する必要を認めた。

(2) 被告担当職員は、昭和四九年六月四日右調査のため、原告宅に臨場したが、原告が在宅しなかったため、原告の事業専従者となっていた長男清一に対し、来意を告げ質問調査をしようとしたところ、清一は民主商工会の事務局員(以下「民商事務局員」という。)の立会をさせるよう強く要求して調査に応じようとはせず、また帳簿は備え付けてなく売上に関する領収証や請求書等の控もあまり保存していない等と申立て帳簿書類等を提示しなかった。

(3) 被告担当職員は、その後同月一一日、同月二七日、同年一二月一二日にそれぞれ原告方に臨場したが、原告との面会はできず、応待に出た清一は前同様、調査には協力せず、帳簿書類等の提示もしなかった。

(二) そこで、被告は、やむを得ず原告の取引先の反面調査等により、本件各年分毎に原告の売上金額を計算し、業態、事業規模等に類似性を有する同業者を選定し、その同業者比率を適用して原告の本件各年分の各所得金額を算出したものである。

2  原告の本件各年分の所得金額の算定

(一) 総売上金額

(1) 原告の総売上金額は、別表二の1記載のとおり、昭和四六年分金五五八万二九〇〇円、昭和四七年分金一〇三一万二二六〇円、昭和四八年分金一四五八万七九一七円である。

(2) そして、右金額は、全て原告自身の売上金であって、原告が主張するが如く訴外谷本照男の分の売上金額は含まれていない。

(二) 事業所得金額

(1) 原告の事業所得金額は、別表二の10記載のとおり、昭和四六年分は金二五二万四五八八円、昭和四七年分は金四八一万八九一九円、昭和四八年分は金五三五万八二〇三円である。

(2) 右事業所得金額は、別表二の1の総売上金額に、同表5及び6の同業者の平均差益率及び経費率を適用して算出したものである。

3  加算税の賦課決定処分

原告は、百十四銀行国分寺支店にいずれも仮名の山下政広及び谷本清美名義の普通預金口座を使用して、本件各年分の売上金額の一部を預け入れており、また、国分寺町農業協同組合にいずれも仮名の谷本三郎及び植松千代子名義の定期貯金口座を使用して、昭和四七年分及び昭和四八年分の所得の一部を預け入れして低額な所得金額の申告をした。

右事実は、国税通則法六八条一項に該当するので、本件各年分の所得金額のうち隠ぺい又は仮装した所得金額に重加算税を課したのである。重加算税の対象となる所得金額は、別表三の1記載のとおりであり、これに対する税額は同表の2記載のとおりであるから、この範囲内でなされた本件重加算税の賦課決定処分は何ら違法ではない。

四  被告の主張に対する原告の認否

1(一)(1) 被告の主張2(一)(1)は認める。

(2) 同2(一)(2)は否認する。原告の総売上金額中には、後記五のとおり谷本照男の分も含まれている。

(二)(1) 同2(二)(1)は否認する。原告の事業所得金額は、別表二の10記載のとおり、昭和四六年分は金二〇一万九六七〇円、昭和四七年分は金二八九万一三五一円、昭和四八年分は金三一三万七九二一円である。

(2) 同2(二)(2)の同業者の平均差益率及び経費率が、別表二の5及び6のとおりであることは認め、及び原告の事業所得金額を算出するについてこれを適用することの妥当性は争わない。

2 原告が、被告が主張するが如き預貯金をした事実はあるが、原告には、所得を隠ぺいする意図は毛頭なく、過少な申告もしていないから、各加算税の賦課決定処分は違法である。

五  原告の反論

1  谷本照男は、原告の実弟であり、香川県綾歌郡綾南町陶に居住し、農業を営んでいたが、昭和四一年政府の米作減反政策により、水稲栽培の将来に不安をもち、従前から、原告が松の盆栽の栽培及び販売をしていたので、同人からその技術を修得して、盆栽及び販売を始めることとした。

2  昭和四一年春、谷本照男の息子賢が高等学校を卒業してすぐのころから昭和四六年春まで、ほとんど毎日原告方に通勤して、原告の営業を手伝うなかで、その栽培技術の修得に努めた。

3  盆栽栽培の過程は、黒松のネジ幹の場合、原木を購入して畑に植栽して成育させ、鉢植え可能な状態になれば、秋ごろには一旦畑から花壇に上げ、翌年一月から三月の間に、針金を巻いて整枝し、四月ごろには鉢に移植し、その後新芽を摘んで、後は水と肥料を与え、次いで、夏ごろには注文を受けて、秋には出荷するのが常態である。

以上のように、原木を畑から花壇に移植してからは約一年で出荷の運びとなるが、その以前の、原木を購入してからどの程度の期間畑で成育させるかは、原木の成育度により一定しない。

4  谷本親子は、昭和四五年に原木を購入し、昭和四六年春に自宅横の畑に自動散水装置をもつ花壇を作って、そこに原木を移植し、製品化して同年秋に第一回分を出荷した。

5  盆栽の栽培は、前記3記載のとおり、集中的に人手を要する作業であるので、昭和四六年から本格的に栽培出荷するにあたり、賢は、原告への勤務をやめ、父谷本照男とともに自主的な営業を始めた。

6  ところが、盆栽の栽培には、相当の技術及び経験を要するため、谷本親子は、昭和四六年から昭和四九年ころまで、原木を原告方に持参して、原告の指導を受けながら針金かけをしていた程であり、また原木の購入及び製品の販売については、長い伝統の中で形成されてきた独得の因習があって、新規に盆栽業を始めた者が、直ちに自主的にこれを行なうことは不可能であったので、これらをすべて原告を窓口として行なってきたものである。

7  このような事情から、原告の総売上金額の中には谷本照男の売上金額が含まれることとなったのである。

第三証拠

一  原告

1  甲第一号証の一ないし七、第二号証の一、二(いずれも原告訴訟代理人久保和彦が昭和五二年一二月二一日撮影した谷本照男の畑の写真である。)、第三号証(写)、第四号証

2  証人谷本賢、同谷本照男、同平松清一

3  高松国税不服審判所に対する調査嘱託の結果

4  乙号各証の成立(乙第一二号証の一ないし三、第一三号証、第一四号証の一ないし三については原本の存在とその成立)は認める。

二  被告

1  乙第一ないし第八号証、第九号証の一ないし一二、第一〇号証の一ないし八、第一一号証、第一二号証の一ないし三(いずれも写)、第一三号証(写)、第一四号証の一ないし三(いずれも写)、第一五ないし第四四号証、第四五号証の一ないし三、第四六ないし第四九号証の各一、二

2  証人幸田久、同渡部茂徳

3  甲第一号証の一ないし七、第四号証の成立は認める。第二号証の一、二が谷本照男の畑を撮影した写真であることは認めるが、その余は知らない。第三号証の原本の存在とその成立は認める。

理由

一  請求原因1は当事者間に争いがない。

二1(一) 証人幸田久の証言及び弁論の全趣旨によれば、被告が原告の本件各年分の各所得金額を算出するにつき、業態、事業規模等に類似性を有する同業者を選定し、その同業者比率を適用してこれを行なったことが認められる。

(二) 成立に争いのない乙第四七ないし第四九号証の各一、二、証人幸田久及び同平松清一の各証言並びに弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。

(1)  原告は、本件各年分の所得税の確定申告に際し、それぞれ単に所得金額として別表一の2記載するのみで、その算出に至る過程すなわち収入金額、必要経費及び専従者控除額に関しては何ら記載しなかった(但し、昭和四八年分の専従者控除額の記載はある)。

(2)  被告としては、原告が昭和四四年に約一四二平方メートルの鉄筋住宅を新築したことや香川県綾歌郡国分寺地区では盆栽業者の中で五指にも入るといわれていた事業規模等に照らすと、その申告所得金額が過少ではないかとの疑いが生じたので、右金額の適否を確認するため調査することとした。

(3)  被告担当職員は、昭和四九年六月四日右調査のため、原告宅に臨場したが、原告が在宅しなかったため、原告の事業専従者となっていた長男清一に対し、来意を告げ質問調査をしようとしたが、清一は民商事務局員の立会をさせるよう要求し、また質問に対しても、収入金額はわからないとか請求書や領収書等は保存していない等と答えるのみで調査には応じなかった。

被告担当職員は、その後同月一一日、二七日及び同年一二月一二日にいずれも原告宅に臨場したが、原告及び清一等の協力が得られず調査はできなかった。

(三) 以上によれば、原告は被告の本件税務調査に協力しなかったものというべきであり、従って、被告が本件各年分の原告の各所得金額を算出するにつき、業態、事業規模等に類似性を有する同業者を選定し、その同業者比率を適用してこれを行なったことはやむを得なかったものというべきである。

そして、本件各年分の差益率及び経費率がそれぞれ別表二の5及び6記載のとおりであることは当事者間に争いがない。

2 原告の本件各年分の総売上金額が、別表二の1記載のとおりであることは当事者間に争いがない。

3 ところで原告は、本件各年分の総売上金額の中には、いずれも谷本照男の売上金が含まれていた旨主張するので、以下この点について判断する。

(一)(1) 成立に争いのない乙第九号証の一ないし一二、証人谷本賢、同谷本照男及び同平松清一の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(ア)  原告は、昭和三二、三年ころから、松の盆栽の生産、販売業を営んできたが、当初は、原告の兄である平松正雄と共同して原木を仕入れるなどしていた。ところが、右正雄は昭和四一年四月一九日死亡し、国昭が相続した。

他方、原告の弟谷本照男は、従前から農業に従事し、主として米と煙草を生産してきたが息子の賢が昭和四一年三月に高等学校を卒業し、そのころ米と煙草の生産だけでは将来不安もあり、また農業後継者を育成するという目的もあって、たまたま原告が松の盆栽の生産、販売業をしていたので、谷本方でもこれを始めることとし、そのため原告方に賢を弟子入りさせ、修業させることとした。そして谷本照男自身も原告の指導を受けながら、三者共同で盆栽の生産、販売をすることになった。

(イ)  盆栽の生産の過程は、先ず原木を仕入れ、その後木の種類や仕入れ時の成育状態等によって、その後の成育方法や期間も異なってくるが、通常約二年間畑に植えて成育させ、成育状態によってはさらに一年ないし二年間これを延長し、鉢植えが可能な状態になれば鉢植えして花壇に上げ、ここで針金を掛けたり剪定して整枝する。

盆栽の出荷の過程は、例年春に買主との間で売買の交渉がなされ、その年の一〇月ごろに出荷され、代金はその年の一二月ごろから決済がなされる。

(ウ)  昭和四一年一二月、原告、平松国昭及び谷本照男は、共同で香川県坂出市府中町の長尾某から黒松の原木約五〇〇〇本を代金八一万円で購入したが、右代金は三者で均等に負担した。そして、仕入れた原木は、その三分の二位を谷本照男の畑に植え、三分の一位を平松国昭の畑に植え、その残りわずかを原告の畑に植えた。

ところが、その後一年位して、国昭は盆栽の中でも、より高級品を取り扱いたいと考えるようになったため、原告らとの共同事業をやめることになり、先に仕入れた原木等も分配して清算した。

(エ)  その後は、原告と谷本照男のみが共同して盆栽の生産、販売をしてきたのであるが、両名は、昭和四三年に香川県綾歌郡国分寺町国分の中村某からねじこぶ五〇〇〇本を金五〇万円で、昭和四五年ころに国分の片岡某からねじこぶ二〇〇〇本を、昭和四六年ころ右中村某からずぼ幹五〇〇〇本を、昭和四六、七年ころ青梅の上野某からねじこぶを、昭和五一年ころ香川県仲多度郡琴平町の山神某あるいは神谷某から原木をそれぞれ仕入れた。

そして、当初花壇や作業場は原告方にしかなかったので、針金掛けや剪定作業は全て原告方で行ない、出荷も原告方から行なった。

このようにして、昭和四一年一二月に仕入れた原木については、昭和四三年秋から出荷が始められた。

(オ)  ところで、盆栽の生産、販売には高度の専門的技術を要し、また長い伝統の中で形成されてきた独得の因習もあったため、原告と谷本照男らの盆栽の生産、販売においては、原告が中心となり、原木の仕入れの交渉は、全て原告が行ない、代金の支払い等も原告が行なった。そして、盆栽の出荷の際も、その交渉は原告が行ない、出荷も全て原告名でなされ、その代金も原告宛に支払われた。

原告が受領した代金は、翌年の春ごろに谷本照男と清算し、諸経費等を控除した残金を二等分してそれぞれが取得した。

(カ)  ところで、このように共同出荷がなされていた期間中も、原告あるいは谷本照男が各個人で栽培してきた盆栽用松の出荷がなされたこともあったが、原告個人分の出荷はもとより、谷本照男個人分の出荷も右共同出荷分と同様に全て原告名でなされ、その代金の授受も原告が行なった。

賢は、昭和四六年春までは原告方で修業を続け、その期間中は毎月一定額の給料を得てきたが、同年春ころには一応の技術も身につけたため、原告方をやめることとしまたそのころ谷本方にも花壇を作り、同人方から直接盆栽の出荷ができるようになった。しかしながら、その後もしばらくは従前同様原告を通じて出荷し、谷本照男が、その個人分の盆栽について直接に買主と交渉して出荷するようになったのは、昭和四九年ころからであった。

(キ)  原告と谷本照男との共同出荷は、昭和五四年まで継続されたが、昭和五五年は天候の具合により製品の出来が悪かったため、これをきっかけに、同年からは谷本照男も原告から完全に独立し、それぞれ別個に盆栽の生産、販売をするようになった。

(2)  次に、谷本照男が、本件各年分の所得申告について盆栽による所得を申告していたか否かを検討する。

(ア)  原本の存在及び成立に争いのない甲第三号証、成立に争いのない乙第一一号証並びに証人谷本照男及び同谷本賢の各証言によると、谷本照男は、昭和四六年から昭和四八年の間は盆栽の売上げによる所得の申告はしていなかったこと、しかしながら、賢の給料収入として、昭和四六年は金二〇万円、昭和四七年は金三〇万円及び昭和四八年は金四〇万円を計上し、また谷本照男の右三か年の収入につき、いずれも農業及びその他からの収入として各金三〇万円及び昭和四八年の職人日雇による収入として金四〇万円を計上したことが認められる。

そして、証人谷本照男は、同人の盆栽の生産、販売による収入を賢の給料収入という形で申告した旨供述するのである。

(イ)  しかしながら、何故に盆栽の生産、販売による収入を賢の給料収入という形で申告しなければならなかったのかについては何ら説明はなされていない。特別な事情でもない限り盆栽の生産、販売による収入をそのままの名目で申告するのが自然であると考えられるのである。

そして、特に昭和四六年分については、前記3(一)(1)(カ)に認定したように賢は、昭和四六年春までは原告から毎月一定額の給料を得ていたわけであり、このような事実に照らしても、賢の右給料収入がその実質は全て谷本照男の盆栽の生産、販売による収入であったなどということは到底考えられないことである。

(ウ)  次にその申告額についてであるが、原告は、谷本照男の売上金額は別表二の2記載のとおりであったと主張し、また原告の差益率及び経費率が同表の5及び6記載のとおりであることは当事者間に争いがない。ところで前記二3(一)(1)に認定したような共同経営の実体からすれば、谷本照男の盆栽の生産、販売による事業所得における差益率及び経費率もまた別表二の5及び6記載とほぼ同一であろうと推測される。そこで、右割合を適用して谷本照男の算出所得金額を計算すると、昭和四六年分は金五〇万四九一七円、昭和四七年分は金一九二万七五六七円及び昭和四八年分は金二二二万〇二八〇円となる。

右数額と谷本照男が賢の給料収入名目で計上した額とが著しく異なるものであることは明らかである。

(エ)  以上の諸事情を考慮すると、賢の給料収入あるいは谷本照男の職人日雇による収入は、盆栽の生産、販売による収入を計上したものではなく、文字通り給料収入あるいは職人日雇による収入とみるのが相当であり、この点に関する証人谷本照男及び同谷本賢の各証言は信用できない。

(オ)  従って、谷本照男は、昭和四六年から昭和四八年にかけては盆栽の生産、販売による収入を所得申告しなかったということに帰するのである。

(3)  原告が、確定申告後本件訴訟に至るまで、谷本照男の売上分についてどのように主張してきたかを検討するに、成立に争いのない乙第一号証、乙第一二号証の一ないし三及び乙第一三号証、前顕乙第四七号証ないし第四九号証の各一、二、証人幸田久、同渡部茂徳及び同平松清一の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、原告方では、昭和四五年ころから、所得税の確定申告の手続は清一が行なうようになったが、原告あるいは清一は、本件各年分の確定申告、更正決定に対する異議申立また国税不服審判所長に対する審査請求書を提出した段階においてはいずれも原告の総売上金額の中には谷本照男の売上金額が含まれているとの主張などしていなかったのであるが、審査請求の段階において突如として右主張を始めたことが認められる。

(二) 以上に認定した事実を総合して判断すると、確かに谷本照男の本件各年分の所得申告の内容や原告の従前の主張の経緯等に照らしてみると、原告の総売上金額の中に谷本照男の売上分が含まれていたとの主張をたやすく肯認することはできないが、前記3(一)(1)に認定した各事実から推認すると、本件各年分の原告の総売上金額の中に谷本照男の売上分が含まれていたことはおそらく否定できないところであろうと思われる。

もつとも、乙第一号証中の「共同出荷の有無について」の記載あるいは、証人幸田久及び同渡部茂徳の各証言中には、原告の本件各年分の総売上金額中には谷本照男分は含まれていなかったとの趣旨のものがあるが、これらは必ずしも十分な根拠を有するものとは考えられない。すなわち、谷本照男の住民税の申告については、同人が正確に申告したのか否かがそもそも問題であるし、また原告の預貯金の動きから谷本照男に対し売上金の分配がなされなかったと判断することもできないし、そもそも被告が右のように判断した段階では、前記二1(二)に認定したように税務調査に対する原告らの協力も得られなかったこともあり、十分な調査がなされなかったのではないかと思われる。

これに対し、証人平松清一、同谷本照男及び同谷本賢らの各証言は細部については喰い違う部分も存するが大筋においては一致しており、十分信用に値するものとみてよい。

(三) そこで次に本件各年分の原告の総売上金額の中で占める谷本照男の売上金額の各割合について検討する。

原告は、右割合について、別表二の3記載のとおり主張し、証人平松清一も原告訴訟代理人の質問に対しては、右主張に副う証言をしたが、裁判官の質問に対しては、昭和四六年の右割合は三割ないし三割五分以上もあったと証言するなどその証言内容は一定しないし、これらの各証言はいずれも確実な根拠に基づくものとは認められず、その信用性は相当に疑わしいものといわなければならない。

そして、他に原告の主張に副う証拠はなく、従って原告の右主張は到底認めることはできない。

さらに、本件全証拠を斟酌しても本件各年分の原告の総売上金額の中で占める谷本照男の売上金額の各割合を認定することはできないものというほかはない。

(四) 以上によれば、先ず原告の本件各年分の総売上金額の中には谷本照男の売上分が含まれていたわけではあるが、原告の総売上金願の中に占める谷本照男の売上分の割合を確定することはできず、また谷本照男も右売上分については所得税を納付していないのである。そして、原告と谷本照男とは共同で盆栽の生産、販売をしたとはいっても、その取引は全て原告名でなされるなど営業は終始原告を中心になされてきたものである。

このような事実に照らして考えると、本件各年分の原告の総売上金額の中には谷本照男の売上分が含まれていたとしても、対外関係殊に税法上の関係においては右総売上金額が全て原告に帰属したものであって、谷本照男の売上分が含まれていなかったものとして取り扱われてもやむを得ないものというべきである。

4 そうすると、原告の本件各年分の事業所得金額は、別表二の10の被告主張金額欄記載のとおり、昭和四六年分は金二五二万四五八八円、昭和四七年分は金四八一万八九一九円及び昭和四八年分は金五三五万八二〇三円となり、昭和四六年分及び昭和四七年分については右金額及び昭和四八年分については右金額の範囲内である金四八四万六〇一五円を基礎にしてなした本件更正処分には何ら違法はない。

三1  成立に争いのない乙第四、第五及び第三二号証並びに証人幸田久及び同渡部茂徳の各証言によれば次の事実が認められる。

(一)  原告は、株式会社百十四銀行国分寺支店に谷本清美名義の架空の普通預金口座を設け、昭和四七年一〇月六日金二万円、同年一二月二七日金二四四万六〇〇〇円、昭和四八年一一月三〇日から同年一二月二六日にかけて四回に旦り合計金八六六万六二二二円を預金した。

(二)  原告は、右同銀行同支店に山下政広名義の架空の普通預金口座を設け、昭和四七年三月八日から同年一二月二二日までの間に四回に旦り合計金五六万六四〇〇円を及び昭和四八年一月一六日から同年一一月一三日までの間に九回に旦り合計金三一二万二五〇〇円を預金した。

(三)  原告は、昭和四七年一〇月一四日国分寺町農業協同組合に架空の谷本三郎名義で金一二〇万円の定期貯金をした。

(原告が、右架空名義で預貯金をした事実は当事者間に争いがない。)

2  成立に争いのない乙第一五ないし第一八、第二三、第二六、第二七、第三一及び第三三号証によれば、原告は昭和四四年一月ころから昭和四八年一二月ころにかけて、前記1に認定した以外にも、植松加代子、植松千代子、桑田キヨミ及び桑田清一等の架空名義を用いて預貯金をした事実が認められる。

3  右2に認定した事実をも併せ考慮すると、原告は、所得を隠ぺいする意図で右1の預金をなしたものと推認するのが相当である。

4  そうすると、右(一)に認定した事実は、国税通則法六八条一項に定める課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実の隠ぺい又は仮装に該当する。そして、その重加算税額は別表三のとおりであるから、昭和四七年分及び昭和四八年分の重加算税賦課決定処分に何らの違法はない。

四  以上によれば、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村上明雄 裁判官 小見山進 裁判官 田邊直樹)

別表一

〈省略〉

〈省略〉

別表二

事業所得金額の計算書

〈省略〉

別表三

重加算税対象額計算表

〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例